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美しい時代の犠牲の上に
よくよく、若い人たち(こんな表現を使うってことは、僕もオジサンの仲間入りですね)、とくに10代の人たちは、“10代にしか出来ないことってあるし”とか、若いうちにやっておきたいし“と、我々に対して言ってくることがある。まあ、それだけ受験勉強から逃れたいのだろうけど。一年には、お花見の季節あり、夏のビーチがあり、そしてクリスマスが・・・。たしかに気持ちは痛いほどわかる。オジサンにもそういう年頃がありました(いまも、そういう年頃って思っていますが)。でもな・・・・。

去年の6月、京都校で講義が終わり、講師室に戻ると、身の丈190センチ弱はあろうかという、顎鬚を蓄えた短髪のイカツイ男がスーツを着て立っていた。なぜかスーツの胸のところに弁護士のバッジがついていて、僕はあせった。どっかで問題でもおこしてて、これから拉致られるのかと・・・・。そしたら、そいつがいきなり「先生、お久しぶりです。6年前にお世話になってた、☆☆☆☆です」と。記憶をたどった。6年前。なんとなく、アイツかなと・・・・。
 
7年前、京都校で一番デカイ教室、51号教室で僕は二次私大世界史という講義(現在のコンプリート世界史B)をやっていました。まあ、かなりの生徒数なので、普通は覚えていないのですが、まあ、そいつのことはちゃんと覚えていました。なぜか?!
まず、大男であったということ。そいつが最前列に座っていたこと。そして、よく京大の論述を見てくれと来ていたということと、そして、そいつが5月ころに、講師室に来て僕に話したことが・・・・。

「先生、ちょっと話を聞いてもらいたいのですが、この前、俺、彼氏にフラれてもうて。いま、勉強が手につかないんすよ。どうしたらいいんすかね。」って。僕はビビリました。そして、そいつに「彼氏って、お前どーゆーことやねん」って聞き返したら、「いや、高校ん時、アメフト部に入ってたんすけど、そんときに同じ部の奴と付き合ってたんすけど、そいつが現役で大学に通ってもうて、俺が代ゼミに来て合わなくなってきて・・・。」って。そして僕が「お前な、」って切り出したら、いきなり僕に「先生、彼女いますか?」って言い出したので、僕が「おらんなあ」って言うと、今度は「じゃあ、彼氏は?」って。もう、その辺から、周りに座ってる先生方まで、耳をそばだて始めて、特に僕の横に座っていた現代文のI先生まで笑い始めて、「友起ちゃん、授業中に変なフェロモンだしまくってるから」と、I先生にも俺のせいにされる始末で。そしたら、奴が、I先生を睨みながら(マジ恐ろしい顔でした)「先生、俺とかってダメっすかね」って。俺が「それって、俺にお前と付き合えってこと?」って聞いたら、そくハッキリと「そーゆーことです」って。だいたい、大胆というか、何にも考えてないっていうか、公衆の面前で、それも代々木ゼミナールの講師室で、それも代ゼミの講師に・・・・。

そっから俺の説教がはじまりました。「だいたいな、お前な・・・・・」内容は途中省略して最後に「お前さあ、京都大学行きたいんやろ、そしたらな、気持ちは解るけど、今年の19歳って大事な歳をな、京大に捧げるつもりで勉強せえや、な。俺やったってな、やりたいこと一杯あってな、それを、一個我慢して、二個我慢して、三個我慢して、今のポジションで仕事してるんやで、そらな、人並みに恋愛したりもしたいけどな、それすら許されない中に俺はいるんやな。だからな」っていったら、そいつが「もうイイです、俺とはつきあってくれないってことですね、分かりました」って。俺からすると、逆ギレされても困るんですけどって感じでした。そして次の週、そいつは講義に来てませんでした。ところが、なぜが2週間後の講義からまた来て、ところが、デカイ教室の一番後ろで受けていて、まあ何か極端な奴でしたわ、そいつ。結局、1月の直前講習会まで、講義は全て出席してくれてはいましたが、2度と講師室に来ることはありませんでした。なので、ここで奴に話した内容の一部をみなさんに・・・。

僕が代ゼミの講師の採用試験を受けて、内定をもらった年のクリスマス、当時付き合っていた奴とケーキを食べながら悩んだことをいまでもはっきり覚えています。このまま、来年を迎えて、このままの状態で代ゼミ講師1年目を迎えるのかって。噂に聞いていたので。代ゼミは1年目の勢いが大切だって。全身全霊つっこんで講義したって玉砕する講師の方が多いということを。勝ち組に入れるか、負け組みに入るかって。悩んだ結果、3月にそいつと別れた。理由を聞かれた。答えた。「他に好きな奴が出来たから」って。嘘だった。

もっと前の話になる。大学の時、僕は大学での研究、部活、塾の講師、究極的に多忙な日々をおくっていた。3年の終わり、体調の不良から病院に行くと、胃潰瘍と診断された。結果、何かを辞めるしかなかった。退部届けを出した。つらかった。先輩も後輩もそして多くの同僚を失った。大学生活が一転して暗くなった。でも、自分は予備校の教壇に立つことを夢見ていた。将来の自分を。そのために大学時代の美しくなるはずの思い出を売り払った。得るものがあれば失うものもある。僕の哲学でした。

代ゼミに入って2年目の2学期、いきなり本部から電話があり、代々木校に出講してくれとのことだった。グリーン車のチケットが送られてきた。東京行きの。今でも覚えている。そのグリーン車の座席に座り、夕方の大阪の風景を見ながら、新幹線が東京に向けて滑り出したとき、窓ガラスに映った自分の顔を見て、涙が出た。とうとうここまでこれたのかっていう気持ちと、自分の顔が疲れきって老け込んでいたってことでショックだったのとで。生の中のホンの一時の若くて大事な時間はもう帰ってこない予感がした。
 
弁護士になった奴と京都校の近くの犬のいる居酒屋で酒を飲んだ。彼は言った。「京大はダメでした。センター失敗して。そして、★★大学に行ったんすよ。そこで、アメフト部入って、試合とか出てたんすけど、××大学と試合なんかで当たると元彼がおって、辛かったんすよね。そして、2年になるとき、先生の言葉思い出して、自分、やっぱ弁護士になるんやって思い出して、自分ってこーゆー人間やから、その道しか見えなくて、退部届けだして、ガムシャラに勉強しましたよ。先生に大学の合格報告行かなかったのは、第1志望だった京大が無理だったんで、今度は司法試験合格してから絶対報告に行こうって決心してたことも思い出して・・・。」僕はせつなかった。でも嬉しかった。自分の若かりしころの犠牲って、こーゆーことの為にあったのかとホントに思った。トイレで涙が出た。

時計が午前0時をさした。僕はそろそろ帰ろうぜって奴に言った。別れ際に奴は僕に、名刺を出しながらこういった。「もし先生に何かあったら、俺が先生の盾になって先生を護りますから!」 力強い声だった。

でも、出来るだけ弁護士の世話にはなりたくないです。
(今回のエッセーは、プライバシーの問題もあるので、固有名詞はひかえさせて頂きます。)
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2008.04.17 メールマガジン登録受付中!
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