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俺が一年間の浪人生活をがんばって来れたのはなんでなんやろ

俺が一年間の浪人生活をがんばって来れたのはなんでなんやろ……。そう考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは上住先生の存在である。
なんといっても上住先生の授業はすごい。講義のレベルが実に高い。このことは今僕が大学で世界史をとっているから言えることでもあるのだが、なんと上住先生が展開なさる講義のクオリティは、大学のそれに勝るとも劣らない(!)のである。ちなみに、僕のとっている講義の題目はメソポタミアの古代史で、僕の周りの学生たちは、「シュメール人とかアッカド人とか印欧系民族とか、興亡が激しすぎで訳わからない」などとぼやいている。けれども、この部分は上住先生のカードが数枚あれば全然問題がないところだ。
また、もっとプラクティカルな話をすると、今年の東大世界史論述では上住式カードがずばり的中した。もともと予想なんかしていないのだから、的中というのは変な話だけれども、上住式カードの内容がそっくりそのまま出たのだからそう言うしかない。しかも、出題範囲は第二次世界大戦以後だったから、なおさら上住式カードが役に立った。もし上住式カードがなければ、自力で戦後史を学習したとしてもおそらく十分に理解はできないだろう。それほど、戦後史は複雑であり、上住式カードは明快なのだ。
上住式カードのすごいところは、歴史が立体的な構造をもって頭の中にインプットされてくるということである。つまり、歴史用語をただ頭から覚えこんでいくのではなく、歴史がひとつの物語として頭の中に入ってくるのである。だから、問題を解くときは、頭の中に無秩序に詰まった記憶を苦心して思い出すのではなく、まるで模型のような立体的な歴史をいろいろな角度から眺めれば答えがわかるのだ。もちろん、こうした立体的な歴史の構築には上住先生の原理面での解説が大きな役割を果たしている。
このように、上住先生は予備校界屈指の講師でいらっしゃるわけだが、僕が上住先生から受けた影響はたんに世界史のみにとどまるものではなかった。上住先生は僕の生き方にも影響を与えたのである。こう言うと誇張が過ぎるのではないかと言う人もいるだろうが、事なかれ主義で何とか高校卒業までやってきた人間にとって、大学受験での失敗は人生におけるひとつの挫折でもあるということを考えるならば、その意見はあたらないだろう。
さて、いったい上住先生の何が僕の生き方に影響を与えたのかといえば、それは上住先生の情熱であり、信条であり、生き方だった。
僕は、早くも初回の世界史コンプリートで上住先生の生き方に感銘を受けた。そう、講義が終わったあとの「まとめの話」である。その中で、上住先生は「得るものがあれば、失うものもあるねんって。」とおっしゃったのだった。やりたいことを全部やっていたのでは望む結果は得られない。逆を言えば、努力を重ねれば結果は自ずとついてくる、ということである。その言葉を耳にしたとき、僕の生き方が決まった。
あいつが授業サボるなら俺もサボろう、とか、あいつが遊びに行くなら俺もどっか行こう、とかいった考え方は僕らがよくするところである。しかし、僕はそうした考え方をきっぱり捨てることにした。かわりに、あいつが授業サボるなら、俺はその授業に出てその分差をつけてやる、あいつが遊びに行くなら、俺はその時間勉強してその分抜き出てやる、と考えることにしたのである。
上住先生のまとめの話は、僕のやる気の源でもあった。というのは、毎週木曜日にまとめの話を聞くことで、怠慢に陥りかけた気持ちが引き締まったからである。人間というのはどうもかなりの精神力がないとやる気を維持できないようだが、幸せなことに僕はレギュラー授業や講習、あるいはメールマガジンのなかで一年を通して上住先生のまとめの話を聞くことができたので、一年間ずっとやる気を維持できたのだと思う。
7月に実施されたプレテストをきっかけに、僕は「どうせこの一年間を犠牲にするなら、とことん勉強しないと損だ」と考えるようになった。そのプレテストで何があったかというと、僕は数学でちょっとしたミスを立て続けにおかしてしまったのである。問題文の読み間違いに始まり、問題条件の見落とし、計算ミス、果ては自分の計算した数字を見間違えたまま解答するということまでやってしまった。題意がわからないとか、方針の立て方がわからないとかいったことなら、勉強すればなんとかなるだろう。けれども、読み違いや計算ミスは注意力の問題であって、本番においても十分起こりうることである。なぜ注意力が足りなかったのだろう。そして、どうすれば注意力が上がるのだろう。
そこで僕は、はたと思いあたった。日ごろのつめが甘かった。予復習にしても模試にしても、こんなものでよいだろうと要領をかましていたのである。模試はレギュラー授業の延長にある。もしも日々真剣に一点の妥協もなく勉強していたならば、模試でもそうした姿勢が生かされ、注意力を維持できていただろう。そういうわけで、僕はつねに妥協を許さずやれるだけやることにしたのである。
僕を最後に加速させたのは、センター試験だった。実を言えば、僕はセンター試験を甘く見ていた。何とかなるだろう、と。だから、僕はセンター試験に向けてあまり勉強をしなかったのである。当初念頭にあった「何とかなる」点数は720点/800点で、自己採点の結果は709点(先日成績開示があり、実際には701点)だったから、内心、まあこんなもんだろうと思った。しかし、それがいけなかった。なんと、自分の周りにいる東大志望者は軒並み740点以上も取っていたのである。つまり9割をゆうに超える点数だったのだ。確かに、僕が余裕風を吹かしている間、彼らは真摯にセンターの過去問をこなしていた。そして、結果として40点以上の差が開いた。こうした目に見えない志の違いがはっきりと点数に現れたということに、僕はとても悔しく思った。それだけでも十分に落ち込んだが、某友人が「ルイはひどく落ち込んでいるようだから、そっとしておいてやろう」と言っていたということを人づてに聞いたときは、悔しさで頭が熱くなった。「なんだ!俺は、お前らに情けをかけられるほど落ちぶれちゃいない。」 それからはもう友人と顔を合わせるのもいやで、ひたすら過去問やら、過去模試やらをこなした。受験前日も、代ゼミ原宿校の自習室にこもっていた。その甲斐あってか、僕はやっと曲がりなりにも大学生になれたわけである。
結びとして僕は、受験も結局は精神論なんだということを言いたい。上住先生のような最高の講師の最高の講義を受けても、生徒である僕らが真剣でなかったら、それは何の利益ももたらさないだろう。つねに真剣であること、つねに「自分はどうあるべきか」を考えること。それが、受験、いや人生における成功の秘訣だと思う。
僕らは、この一瞬一瞬が自分の人生を形作っているという事実に目をつぶりがちだ。けれども現実に、このつまらなさそうな一瞬一瞬が、この苦しい受験生活が、僕らの人生の一部となっていく。だから、自分はどうあるべきか、いつも自らに問いかけて生きていかなければならないと思う。
最後になりましたが、この稚拙な文章を読んでくださった受験生の皆さんがよい結果を得られますように。そして、上住先生が私にこのような機会を与えてくださったことを感謝いたしますとともに、私を一年間ご指導くださったこと、この場をお借りして改めて御礼申し上げます。上住先生!僕も、先生と先生の生徒たちを応援していますよ!

藤井 塁
1985年生。洛南高校卒業後、文3を受け不合格。代ゼミに来て上住先生と出会い、人生の何たるかを知る。心身ともに成長後、文1を受け合格。現在、バンドとテニスのついでに勉強中。
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2008.04.17 メールマガジン登録受付中!
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